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周回おくれのスタートライン


今日は診察日だった。

「作ることを、思い切って休むことにしたんです。」

と切り出した私に、いつものように先生は優しくうなずいてくれた。

「まぁ、周りの人たちは私は浮き沈みが激しいってことを

わかってくれているとは思いますが、

正直『またか』って思われる気もしています。」

と自嘲気味に笑うと、

先生も少し笑って、いやいや、と首を振った。

「浮き沈みのない人間など、いないよ。」

先生は後ろで記録係をしていた看護師さんに声をかけて

雑紙をもらうと、左から右に伸びる矢印を2本縦に並べて書いた。

上の矢印には大きな丘と窪地が一つずつ、

下の矢印には忙しなく上下する幅の狭い波形を付け足す。

「このように年単位で緩やかに上昇と下降を繰り返す人間もいれば、

細かく細かく刻みながら進む人間もいる。

その波の中で、人はみんな生きている。

だから、それは普通ですよ。大丈夫です。」

「そうですよね。でもどんどん置いて行かれる気がして・・」

自信がない時ほど、笑ってしまう癖は相変わらず抜けていない。

言葉に潜む不安とは裏腹に、へへへと苦笑いしていた。

そんな私に、

しっかりとした、しかし柔らかい声で先生は言った。

「うん。置いて行ってもらいなさい。」

そう言うと、先ほど書いた二本の波形付き矢印の下に、楕円を描く。

「トラック競技だとします。ね?これ。

よーいどんで走ってきて、あなたがここで疲れて休んだとします。

そしたら置いて行ってもらいましょう。

でも実際は、」

私が仮に立ち止まったとする地点から、

ペンはトラックをぐるりと回って戻ってきた。

「ほら後ろからくるでしょ。置いて行かれてないよね。

また向こうからやってきますよ。」

「じゃあすーっと知らん顔してそこに混ざっちゃえば、周回遅れだってばれませんかね?」

「ばれてもいいじゃない。周回遅れでいいの。」

自分の浅ましさが漏れ出てしまって私は赤面した。

先生は気づいていたのかいないのかわからないけれど、

先ほどよりもより確信めいた口調で言い切った。

「合流するまで呼吸を整えて足を休めて、

みんながまたやってきたら走り出せばいい。」

(堂々と)

という言葉が透けて見えた。

それは光のようだった。

ずっとできなくて、憧れているのに避け続けてきた片鱗を

見た気がして、ゆっくり反芻する。

偽る必要はない。隠すことない。

わたしは周回遅れ。

これはまぎれもない事実。

けれども、

それを恥じることもない。

恥じることは、ないんだ。

わたしはいつも、わたしのほんとうがわからない。

ほんとうなんてないと人は言う。

ぜんぶほんとうだとも思う。

生きてることに意味なんかない。

それは真実だとも思う。

ただ、少しだけきょう、

いいでもない、わるいでもない、

かっこ悪くも、かっこよくもある

わたしを、先生の言葉の中に見た。

恥じる場所を間違えて、きっと生きてきたこと。

これからでも、変えられるかもしれないこと。

きょうも、病院に行ってよかったと思った。

みんなはすごいと思う。

作家仲間だけじゃない。

友人も夫も知人も知らない人も。

日常生活の中で、自分にはできないことが多い。

比べたり、責めてしまうことも、

またあると思う。

だけど、走っている途中だから。

死ぬまでずっと、走っている途中。

何周遅れでも、またスタートラインに立つぞ。

何年経っても、あの時やってよかったと

思えるものを作るために。

地下歩行空間に、北海道の市町村をPRする写真が貼ってあった。

圧巻だったなぁ。

わたしの故郷は、きれいだなぁと思った。

(北海道全部ってことね)

見せたい景色があった。

一緒に見たい風景があった。

共に行きたい場所がある。

いままでと、これから。

どちらもたいせつだから、

わたしはそれを作品にできるように

いまはスタートラインの近くで、座っています。

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