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アートとエンターテイメント

  • 執筆者の写真: 39ofcolor
    39ofcolor
  • 2017年1月25日
  • 読了時間: 2分

「山田孝之のカンヌ映画祭」というドラマをを見ている。

パルムドールを2回受賞した脚本家の人が、

「ハリウッドが嫌いなんですよ、カンヌの人たちは。憎悪してる。

だから不親切に作る。

説明したり、お客さんにサービスをしない。

お客さんにサービスして整理しちゃうとエンターテイメント。」

と言っていて。いろんなことを思い出した。

大学の時、映画を作るゼミに入っていた。

先生は映画界では割とすごい人だったらしいのだけど、

わたしは何度見ても作品の意味がわからなかった。

ゼミの仲間や有名な監督さんが、先生の作品を褒めれば褒めるほど、

どんどんどんどん孤独になった。バカにされてる気がした。

でも、わからないものはわからない。

わからないということは不安を呼ぶ。

説明してくれたらわかったのかな。

そうするとアート的映画に意味はなくなるのかな。

映画監督はきっと芸術家なんだなと思う。

そのせいなのか今もずっとアートと呼ばれるものにコンプレックスがある。

そのくせ、わかりやすいだけのものは面白くないと思っていた。

わたしの持つ感情も経験した事象も、一言で言えるほど簡単なわけない。

簡単だったらこんなに苦しまないはずだもの。

「普通の人」に説明すると、「ごめwちょっとわからないww」って言われた。

それでも簡略化すると、伝えたいこととはズレていくからできない、というかしたくない。

ディテールにこだわって、説明しようと言葉が増えていく。

反比例して人は去っていく。

孤独だった。いつも。

どこにも入れない気がした。

自分を特別視するなとも何度も言われたけど、

たくさんの人の中で孤独なら、1人でいて寂しい方がよっぽどマシだと思った。

テレビの中で先程の脚本家が、こう続ける。

「みんな大喜利が好きなんですよ、日本は。

みんなが同じことを知ってて、同じ経験をしてて、

同じ価値観を共有してるから小さな価値観の差が楽しいっていうゲームですよね。」

もしみんながそうならば、わたしもそうだよ。だからその「みんな」の中にいたい。

内輪ウケでいい。

共有していたい。

安心したい。

不親切で、わがままで、世界中の誰にも必要とされなくても生まれるアート。

わかりやすく、かわいく、みんなの笑顔をお金を生むエンターテイメント。

どちらでもない「みんな」へ。

ここにわたしもいるよ、と叫んでる。

 
 
 

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