どうしてアクセサリーを作るのか
先日、「アクセサリーを作り始めたきっかけはなんですか」と聞かれた。
実際のきっかけは、あるイベントの実行委員だったとき、フリーマーケットに出展する人が
少なくて付け焼刃ではじめた、というのが本当のところ。
でも、それでやめたって良かったわけで、どうして1年半も続けているのか。
自分でもまだ、定かではない。
楽しいから、社会と少しだけ関われるから、見ていてくれる人がいるから
北海道をみんなに好きになってもらいたいから・・・・
いろんな理由はあるけれど、最近はこんなことを考えている。
わたしはずっと言葉で伝えることが好きだった。
仕事もそうだったし、バンドもヴォーカルだったし、詩も歌詞も文章もたくさん書いた。
でも、いつからか、言葉というのは難しいものだなと思うようになった。
大まかに話せば、誤解される。詳細に話せば、煙たがられる。
だから歌や詩や物語にして伝えてきたけれど、少し恥ずかしく、少し怖くなった。
なぜならわたしを知っている人は、わたしから生まれるフィクションもノンフィクションも
すべて「わたし自身」だと認識するとわかったから。
そのくらい、言葉というのは強くて、まっすぐで、こと自己表現のツールにすると、わたしにとっては扱いの難しいものになってしまった。
それに引き換え、アクセサリー制作というのは少し自由だ。
わたしの中で思い描くイメージや風景や感情。現実と非現実をごちゃまぜにして、小さな世界を作るというのは、至極快感で面白い。
しかもそれがわたしの経験であるか、妄想であるか、というのは見る人にとってそれほど興味がないことだと思う。
作品を見て、どう感じるか。それだけ。
わたしが何者か、ってことはどうでもいいこと。
その距離感が、心地いい。
少しだけ、作品の背景やわたしのイメージを添えるために、こうしてHPを作ったり、ツイッターにアップしたり、キャッチフレーズをつけたりしているわけだが、そんなのは一種の自己満足で、手にした人がかわいいって思ってくれればそれだけでいい。
わたしの思いが余計なら、忘れてくれたほうがいい。
その中で、もしも、立場や時間や場所を越えて、
わたしの作品から何かを感じてくれる人がいたら、とても嬉しい。
自己表現というとなんだか恐れ多いし、
かといって、これから商売のプロになるつもりはない。
では、どうしてアクセサリーを作るのか。
それは今のわたしにとって、アクセサリー作りが、言葉よりもやさしいメッセージツールだからかもしれない。
メッセージといっても、誰かに伝達しなければならないものではなく、しいていうならば、宛名のないラブレターのような、そんな感じだ。
伝えることを目的としないもの同士の間にある思いが交差し、共鳴しあうとき
わたしは生きていてよかったなと心から思う。
だからいつもわたしの作品を見守ってくれて、声をかけてくれてありがとう。
わたしの手から離れたストーリーが、また違う誰かのストーリーになって
広がっていきますように。